冒険家の阿部雅龍(あべ・まさたつ)さん。
人力車の車夫としての顔もあり、日本人初となるルート(メスナールート)での南極点単独徒歩到達を果たし注目を集めました。
そんな冒険家・阿部雅龍さんとは一体何者なのでしょうか。
そこで今回は、阿部雅龍さんのwiki経歴&学歴について調査していきます。
【何者】阿部雅龍のwikiプロフィール
阿部雅龍さんのプロフィールがこちら↓↓
- 名前:阿部雅龍(あべ・まさたつ)
- 生年月日:1982年12月29日
- 身長:180cm
- 体重:68kg
- 出身地:秋田県秋田市
- 職業:冒険家
秋田県秋田市出身の阿部雅龍さん。
1982年12月29日生まれの41歳です。
そんな阿部雅龍さんの経歴はどうだったのでしょうか。
阿部雅龍の経歴
阿部雅龍さんの経歴を見ていきましょう。
幼少期
阿部雅龍さんが冒険家を志すきっかけが、小学校の時に母親に買ってもらった一冊の本だったそうです。
その本には、世界的に有名な探検家と並んで、同じ秋田出身の探検家・白瀬矗さんが描かれていたことに衝撃を受けたそうです。
また阿部雅龍さんは、元々身体が弱く、いじめられっ子でグループを作るときに一人だけ余っちゃう子だったそうです。
小学校の通信簿に「皆が右に行くと独りだけ左に行く子」と書かれたと紹介されていますね。
小学校の通信簿に『皆が右に行くと独りだけ左に行く子』と書かれた事がある。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) June 23, 2018
人と同じように出来ない。列からはみ出してしまう。
そんな自分がコンプレックスだった。
でも、今なら幼い頃の自分が分かる。
僕は見たいものを見に行きたい。
誰がなんと言おうとも。
やっぱ自分に嘘はつけない。 pic.twitter.com/0A0RNOCjy2
そして自分に自信がなかったと語られています。
そんな中、命をかけて困難を乗り越えていく冒険家や探検家の姿に憧れを抱いたそうです。
僕は冒険がしたいというより、冒険家という生き方がしたい。冒険家は僕が憧れていたヒーローであり、カッコいい大人でした。
とインタビューに答えています。
一冊の本が、阿部雅龍少年の心を鷲掴みにしたんでしょうね。
素敵なエピソードです。
2003年(21歳): ヒッチハイクで日本を旅する
2003年 大学の春休みを利用して日本をヒッチハイクで旅に出ています。
秋大時代の2年生の終わりの春休みに、秋田から大阪までヒッチハイクを敢行。
駅や道端で寝たり、トラック運転手に食事をおごってもらう旅を通じ、同郷の白瀬さんや北極・南極を単独徒歩で横断した山形出身の冒険家・大場満郎さんに憧れを募らせたそうです。
阿部雅龍さんは、このヒッチハイクでの旅で、大学を2年間休学することを決断させています。
2004年(22歳):大場満郎の冒険学校のスタッフとして勤務
目指した場所へ辿り着く。それは難しい事だ。どんなに努力しても運がないとダメだ。オレは運も良かった。九死に一生の状況でも死なずに天に助けられた命。人に助けられてここにいる。駆け出しの頃の自分に「大丈夫、そのまま進め」と胸を張って言うだろう。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍(@MasatatsuAbe) October 16, 2021
写真:大場満郎冒険学校スタッフ時代,21歳 pic.twitter.com/D9Y1oKXnaW
阿部雅龍さんは、2004年 大学を休学し、幼い頃からの冒険の夢を叶えるために敬愛する極地冒険家・大場満郎の冒険学校でスタッフとして勤務しています。
大場さんの冒険学校でスタッフとして働き冒険家としてのスキルを学びながら、他にもアルバイトで資金を貯め冒険への準備をしています。
2005年(23歳):南米大陸の単独自転車縦断
野生のリャマ(ラマ)にキスをされて照れ笑い。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) March 2, 2022
-アルゼンチン北部にて 南米大陸自転車縦断11,000km(2005年)- pic.twitter.com/6IjVlymtkA
2005年にはじめての冒険旅行として南米大陸に赴き、自転車で標高5千メートルの高地を越え、テントで暮らしながら10ヶ月で南北を縦断しています。
エクアドルの赤道からアルゼンチンの南米大陸道路末端ラパタイア湾までを290日11,000kmを走破する。
これが初めての海外旅行で英語もスペイン語も話せない状態での挑戦だったそうです。
2008年(26歳):東京浅草で人力車を引く
南極出発間近まで人力車業。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) October 28, 2018
学校を出てこのかた就職はしたことはない。
2本の脚で走って稼いで世界中を冒険してきた。
それだけに脚には自信あり。 pic.twitter.com/DsAtIGHHLF
2008年に休学していた国立秋田大学を卒業し、夢の実現のために就職の道を選ばず、東京の浅草で人力車を引く道を選んでいます。
大学卒業当時、就職するか否か悩んだが、一度きりの人生として冒険家の道を選び上京したとのこと。
トレーニングを兼ねて浅草で人力車を引き始めています。
2010年(28歳):アメリカンロッキー山脈を縦走
2010年 アメリカのコンティネンタル・ディバイド・トレイルを単独踏破しています。
カナダ国境からメキシコ国境までのアメリカンロッキー山脈を4,200kmを147日間で縦走しています。
2011年(29歳):北米大陸を縦貫するロッキー山脈両トレイルを踏破
2011年 カナダのグレイト・ディバイド・トレイルを単独踏破。
カナダからアメリカ国縦走する北米大陸を縦貫する1,200kmの道のりを42日間で踏破しています。
2012年(30歳):アマゾン川2000kmの単独筏下り
2012年 アラスカ~カナダ間のユーコン川単独カヌー750kmのトレーニングを積み、南米・乾季のアマゾン川単独筏下りを達成。
2000km・42日間での達成でした。
自作のイカダでアマゾン川を下る。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) February 8, 2019
今でも鮮烈に想い出すアマゾンの日々。
赤道から南極点へ。
緯度0゚から90゚へ。
灼熱から極寒。
世界をひとつなぎの大冒険。
それが僕が描いた夢だった。 pic.twitter.com/s8FaQKBYgc
やばすぎますね。
2015年(33歳):カナダ北極圏・750km単独徒歩
毎日、あっついね。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) August 2, 2022
-40℃の雪景色をどうぞ。
(カナダ北極圏単独徒歩 2015) pic.twitter.com/T0ajdbMMVq
2015年 カナダ北極圏単独徒歩(750km54日間)。
-40°Cの一面雪気色の環境は、暑いらしいですね。
一般人は想像すらできない世界です。
ほんと、すごい!
2019年(37歳):日本人初のルート(メスナールート)での南極点単独徒歩到達
【南極点到達】日本人初ルート(メスナールート)単独徒歩で南極点に立ってきました。次の夢は人類未踏。地元秋田の白瀬南極探険隊長の成し得なかったルートで南極点へ。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) January 21, 2019
きっと夢はまだ始まったばかり!#my_story_with_aibo #aibo pic.twitter.com/Zprnhwrbk0
2019年1月17日 日本人初のルート(メスナールート)での南極点単独徒歩到達しています。
918kmの道のりを55日間で達成。
その探検は、過去最悪レベルの異常な積雪で世界中の冒険家たちがリタイアしていくなかで、達成しています。
2022年(40歳):グリーンランド徒歩横断
秋季グリーンランド徒歩横断遠征中に撮られた写真が届く。30日間、寝食を共にした仲間たち。大変だけど充実した日々だったのは表情で分かるよね。みんな素晴らしい男たちだった。共通の目的を持つって良いことだ。
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) September 27, 2022
(Photo by Dennis Huiberts) pic.twitter.com/Xx8UiNYAUr
2022年7月には、グリーンランド徒歩横断を達成。
30日間で600kmの道のりを歩き切っています。
また、同年功績が認められて、植村直己冒険賞を受賞しています。
第26回植村直己冒険賞 授賞式 が開催。人間の可能性に挑んだ創造的な勇気ある行動(業績)に授与。活動を応援して下さる皆さまお一人お一人に取らせて頂いた賞です。なお副賞の賞金100万円は毎月寄付してる交通遺児育英会に全額寄付。(ぼく自身が幼少期に父親を交通事故で亡くした交通遺児) pic.twitter.com/oM81vALi6D
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍🇦🇶 (@MasatatsuAbe) June 4, 2022
2024年(41歳):脳腫瘍のため死去
2024年3月27日、秋田県の病院にて亡くなっています。
阿部雅龍さんは、2023年8月から激しい頭痛を感じており、病院で受診したところ脳腫瘍がわかり、摘出手術を受け、放射線治療をしていました。
阿部雅龍の学歴(出身中学校・高校・大学)
阿部雅龍さんの学歴について紹介します。
出身中学校は潟上市立羽城中学校
出身高校は秋田県立秋田中央高等学校
出身大学は秋田大学工学資源学部機械工学科
阿部雅龍の原点は人力車
阿部雅龍さんの原点は、人力車だそうです。
大学を卒業後、一般企業に就職せずに選んだ道が、浅草での人力車夫としてに道です。
冒険のない日々は、阿部さんは浅草で人力車業を営んでいるとのこと。「海外に出て自分が自国の文化を知らないことを痛感しました。この仕事はトレーニングにもなるし、観光案内のために日本文化も勉強するので、うってつけなんです」
引用:WebLEON
海外に旅をするようになって、自国の文化を知らないと痛感した阿部雅龍さん。
そんな中で、観光案内をする車夫は日本文化を勉強するとともに、冒険家としてのトレーニングにもなってうってつけだと語られていました。
パーソナルトレーニングからの人力車! pic.twitter.com/EBlNh0Jgki
— プロ冒険家/夢を追う男 阿部雅龍 (@MasatatsuAbe) March 28, 2023
パーソナルトレーニングからの人力車ってすごいですよね。
トレーニングにもなり、お金を稼げる人力車は、冒険家にとっては相性が抜群なのかもしれませんね。
【何者】阿部雅龍のwiki経歴&学歴!日本人初の南極冒険家!まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、【何者】阿部雅龍のwiki経歴&学歴!日本人初ルートの南極冒険家!と題してお届けしました。
阿部雅龍さんの今までの活躍がよくわかりました。
冒険家としての阿部雅龍さんの魅力に引き込まれてしまします。
阿部雅龍さんのご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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