NHKの朝ドラ「ブギウギ」が面白いと大ヒットしています。
その「ブギウギ」の主人公のモデルは、代表曲「東京ブギウギ」で有名な笠置シヅ子さんですね。
笠置シヅ子さんの夫は吉本穎右(よしもとえいすけ)さんで、我が子誕生を見る前に、若くしてこの世を去っているそうです。
笠置シヅ子さんの夫・吉本穎右さんの死因はなんだったのでしょうか?
そこで今回は、吉本穎右さんの死因に迫ってみたいと思います。
笠置シヅ子の夫・吉本穎右(えいすけ)は23歳の若さでこの世を去った!
吉本穎右さんのプロフィールがこちら↓↓
- 名前:吉本穎右(よしもとえいすけ)
- 生年月日:1923年10月26日(没23歳)
- 出身地:大阪府
- 妻:笠置シヅ子
- 母:吉本せい(吉本興業の創始者)
1923年(大正12年)10月26日生まれ、大阪府出身の吉本穎右さん。
吉本家の8人兄弟の次男として生まれました。
しかし、幼い頃に兄と6人の姉妹を亡くしていているそうです。
母親は、吉本興業の創始者、吉本せいさん。
朝ドラ『わろてんか』の「おてんちゃん」ですね。
吉本穎右さんの父親は、若くして亡くなっており、長男も幼い時期に亡くしているので、吉本興業の跡取り御曹司として育てられた吉本穎右さん。
そんな吉本興業の跡取りとして期待されていた吉本穎右さんですが、23歳の若さで亡くなっています。
1947年(昭和22年)5月19日の午前10時20分、吉本穎右さんはこの世を去っています。
やがて出産が近づき、当時の芝区葦手町にあった桜井病院に入院していた笠置の元へ、5月19日午前10時20分、吉本頴右が急逝したとの知らせが入る。
引用:文春オンライン
23歳で亡くなるなんて早すぎますよね。
早くして亡くなった吉本穎右さんの死因はなんだったのでしょうか?
笠置シヅ子の夫・吉本穎右(えいすけ)の死因は肺結核
president onlineの記事に吉本穎右さんの死因の記載がありました。
吉本穎右さんの死因は、死因は奔馬性結核による急性肺炎だったそうです。
そして危篤の報せを受けたのが、18日。その翌日、5月19日にエイスケは25歳の若さで息を引き取る。死因は奔馬性結核による急性肺炎だった。
引用:PRESIDENT Online
奔馬性結核とは昔の呼び名で、現在の結核と同意だそうです。
結核とは「結核菌」という細菌が直接の原因となって起こる病気で、結核菌が起こす「おでき」のようなものと考えていいでしょう。最初は炎症から始まります。肺ならば肺炎のような病気です。
引用;結核研究所
また記事では吉本穎右さんが亡くなった年齢は25歳との記載がありますが、
吉本穎右さんの生年月日1923年10月26日が間違っていないとすれば享年23歳だと思われます。
また、吉本穎右さんは幼少期から病弱で、肺結核を患っおり、胸膜炎で入院した経験もあるそうです。
兄弟は兄1人、姉6人いたけれど兄と姉の6人が亡くなっていることや母親も肺結核を患っていたので、多くは遺伝ではないか?とされているみたいですね。
結核は、吉本穎右さんの命や多くの方の命を奪った怖い病気でした。
当時、肺結核は不治の病として恐れられていました。
笠置シヅ子の夫・吉本穎右(えいすけ)は我が子誕生前にこの世を去っていた
夫の吉本穎右さんが亡くなったのが5月19日。
その13日後の6月1日に笠置シヅ子さんが女児を分娩しています。
よって、吉本穎右さんは我が子の誕生を待たずに、この世を去っています。
笠置が女児を分娩したのは、6月1日。
引用:president online
笠置シヅ子さんが訃報を聞いたのは、吉本穎右さんが亡くなった次の日の昼頃だそうです。
出産予定日を過ぎ、いつ生まれてもおかしくない笠置シヅ子さんにマネージャーさんが告げたそうです。
笠置が訃報を聞いたのは、20日のお昼ごろ。山下のモデルであるマネージャーの山内は、「いつまでも隠し終わせるものではない。なまじ下手な言い方で脇の者から漏れたら影響も悪いし、これほどのことを何故知らせてくれなかったかと感情を害すかもしれない。またこれが産後にわかると血が上るということもある」(自伝)として、出産予定日を過ぎ、いつ生まれてもおかしくない笠置に訃報を知らせたのだ。
引用:president online
我が子の誕生を待たずに、この世を去った吉本穎右さん。
愛する人との子供の誕生を楽しみにしていたはずです。
きっと悔しくて仕方がなかったはずですよね。
笠置シヅ子は夫と入籍しないまま死別
吉本興業の御曹司として育てられた吉本穎右さん。
笠置シヅ子さんの結婚を吉本興業の創始者でもある、母・吉本せいさんに認められていませんでした。
反対した理由については、笠置さんが9歳年上だったから、またはせいさん自身が芸能界の裏を知りつくしていたからなど諸説があり、真相は不明です。
また、吉本穎右さんが母・吉本せいさんに告げられずにいた可能性もあります。
笠置シヅ子さんの自伝で、吉本穎右さんの性格を語っています。
吉本穎右さんは、几帳面な人で親の許さぬ恋として、喉元までくる言葉を押し戻していたとの記述がありました。
吉本穎右さんは、母・吉本せいさんに結婚の許可を求める説得すら出来なかったと思われます。
「笠置はんのことは本家(編集部註:吉本せいのこと)に何もいやはらしまへんでした。なんせ、几帳面なお人やよって、親の許さぬ恋として、喉元までせきくる言葉を押し戻しはったんだっせ。本家もそれと察して、なんか、もういい残すことあらへんのか、と何度も何度も声を強めはりました。ぼんは静かに眼をつぶってはったが、その何度目かに薄目を開けられて、たったひとこと、ほかのことはみな前田にまかしてあるよって、よろしうお願いします……」
引用:笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社
吉本穎右さんの病状は悪化の一途をたどり、入籍が実現しないままこの世を去ってしまいます。
また、吉本穎右さん死後、母の吉本せいさんが、2人の関係について「何も知らない」と語らなかったそうです。
「昨年五月亡くなった独り息子の穎右氏と例のヴギウギ歌手笠置シヅ子さんとの問題については『何も知らない』と語らなかった」
引用:presidentonline
最後の最後まで、入籍を許してもらえずにこの世を去った吉本穎右さん。
きっと、無念だったと思います。
しかし当時の結婚は、家柄の問題や色々なしきたりがあったのでしょう。
今では考えられないほどの結婚へのハードルだったことが伺い知れますね。
笠置シヅ子の夫・吉本穎右の死因は?我が子誕生の直前にこの世を去った!まとめ
いかがでしたか?
今回は、笠置シヅ子さんの夫・吉本穎右さんの死因について調査してみました。
死因は、死因は奔馬性結核による急性肺炎で、享年23歳とお若く、我が子の誕生を待たずにこの世を去っています。
また、結婚も最後まで許されず、逝去されていることに当時の結婚のハードルの高さを伺いしれました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
↓↓関連記事↓↓
コメント