愛は勝つで有名なミュージシャンのKAN(木村和)さん。
2023年11月17日に亡くなったとの報道があり、悲しみむ声が多く聞こえてきます。
KANさんの楽曲に励まされた人々も多かったのではないでしょうか?
そんなKANさんの歩んできた半生をあらためて振り返ってみたいと思います。
今回は、KANさんの経歴や学歴、名前について調査してみました。
KAN(木村和)のwiki風プロフィール・経歴
- 芸名:KAN
- 本名:木村和(きむらかん)
- 生年月日:1962年9月24日
- 年齢:61歳(2023年11月現在)
- 出身地:福岡県福岡市
1962年9月24日、福岡に生まれたKANさん。
2人兄弟の次男として木村家に生まれます。
1967年に東田島カトリック幼稚園に入園し、すぐにヤマハ音楽教室にてピアノを習い始めます。
その後、1969年に福岡市立田島小学校に入学。
福岡市唐人町のピアノ講師・中村順子に師事し、クラシックピアノを習い始めています。
講師宅で週1回のピアノレッスンに加え、毎週日曜日に田島バプテスト教会に通い賛美歌を歌う幼少期を過ごしていたそうです。
音楽と同時にスポーツにも精を出していました。
小学校4年生から地元の少年野球チームに所属し、6年生でレギュラーに昇格し副キャプテンをしていたそうです。
学生時代からコピーバンドを結成し、音楽に熱中していたKANさん。
音楽で頭角を表したのは、1984年に参加したヤマハ「East West ’84」です。
この決戦大会でKANさんは、優秀賞を受賞したことがきっかけとなります。
音楽でのデビュー後の活躍は以下の通りです。
- 1986年、ライトリンクスコーポレーションと契約
- 1986年、『日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群』音楽を担当
- 1987年、シングル「テレビの中に」でレコード・デビュー
- 1990年、5thアルバム『野球選手が夢だった。』の収録曲「愛は勝つ」が大ヒット
- 1991年、(平成3年)「愛は勝つ」が同年末の第33回日本レコード大賞を受賞
KANさんの代表曲である「愛は勝つ」は200万枚を売り上げる大ヒット。
オリコンチャートイン52週のロングヒットとなります。
誰しもが、一度は聞いたことがある親しみやすいステキな楽曲ですね!
そんな素晴らしい楽曲を生み出した、KANさんの学歴はどうだったのでしょうか?
KAN(木村和)の学歴
KANさんの学歴がこちらです。
中学校は友泉中学校
KANさんの出身中学校は福岡県立友泉中学校です。
福岡市立中央区に位置する中学校です。
この頃からKANさんは独学でギターを弾き始め、ビートルズのコピーを始めました。
3年生の年にはKANさん自身のバンドを結成しています。
バンドの名前は、
ミートルズ
もろにビートルズを意識していますね。
当時のレベルも相当だったようで、中学生レベルとは思えない完成度・熱き思いを感じる音楽を展開していたそうです。
当時の音源を聞いたトータス松本さんが、衝撃と感銘を受けたと番組で紹介されていました。
出身高校は城南高等学校
KANさんの出身高校は、福岡県立城南高等学校です。
福岡市城南区にある城南高等学校。
2023年度の偏差値は68−69です。
福岡県内で13位にランクインするほどの頭のいい学校のようですね。
KANさんは、高校時代に水泳部に所属。
水泳部の部員から借りたビリー・ジョエルのアルバム『ニューヨーク52番街』に衝撃を受けたそうです。
そのことが、ピアノロックに目覚めるきっかけとなりました。
また、水泳部員から借りたアルバム『ニューヨーク52番街』は借りたまま29年もパクった状態であったそうです。(今は返却)
この経験が「愛は勝つ」を生み出す礎を築いたのかも知れませんね!
部活動とともに音楽活動にも精を出していたようです。
出身大学は法政大学
KANさんの出身大学は法政大学の社会学部です。
1981年にKANさんは法政大学の社会学部に入学しています。
ピアノを買うために大学にはほどんどいかずにバイトに明け暮れていました。
銀座のレストランや、六本木のディスコでアルバイトをしていました。
そのため、2年生の時に留年してしまったそうです。
音楽も勉強も両方を両立させるのは至難の業だったようですね。
そんな留年中の時に、高校の先輩が所属していたバンド「アネット」に加入しています。
そのことが、デビューをつかむきっかけとなりました。
KAN(木村和)の名前はキラキラネームの先駆け
KANさんの芸名は、は本名の「和(かん)」からとっているのをご存知でしょうか?
本名の「和(かん)」は父親の木村満さんが命名しました。
和と書いて、かんと読ませる。
「和」の音読みは、ワ・オ・カがあり、訓読みはやわらぐ・なごむ・なぐ・あえるの読み方があるとされています。
和を「かん」と読ませることはあまりないようです。
つまり、キラキラネームの走りだったようです。
KANさんもなぜ「和」を「かん」と読ませたのか知らされておらず、父親は1990年に逝去したため、真相は謎のままとなってしまったとのこと。
KANさん自身は、本名でのデビューを希望していたそうです。
しかし、前述の通り「和」を「かん」と読ませることは稀でした。
読み間違えられやすいと懸念され、また読み方を訂正するのが面倒だと思ったため、大文字でローマ字『KAN』の芸名となったそうです!
お父さんが名付けた珍しいお名前のお陰で、印象に残りやすく知名度が上がったのかもしれませんね。
【愛は勝つ】KAN(木村和)のwiki経歴・学歴!キラキラネームの先駆けだった!まとめ
いかがでしたか?
今回は、「【愛は勝つ】KAN(木村和)のwiki経歴・学歴!キラキラネームの先駆けだった!」と題しました、KANさんの経歴や学歴をお伝えしました。
KANさんのことがよくわかり、あらためて「愛は勝つ」を聴きたくなってしまいましたね!
KANさんのご冥福をお祈りしています。
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